April 30, 2012

足りないマンデー

今日は4月30日、きのうの日曜が「昭和の日」で休日であったために、休日である。5月1日、2日に休暇をとると、4月28日の土曜日から5月6日の日曜日までの9連休になるそうだ。

しかし、それは別世界での話である。最近の大学では、授業を半期15回きちんとやることが要求されていて、勝手に休講・休校にするわけにはいかない。それどころか、「ハッピーマンデー」のおかげで、成人の日や体育の日などが月曜日に固定化されたため、月曜日の授業回数が不足がちなので、今日は「授業日」である。私立大学は授業日を独自に定めることができるので、国民の休日であっても、年に1、2回の月曜日は授業日とせざるを得ないことが多い。

思えば、この「ハッピーマンデー」というのは、一週間単位の繰り返しを基本とする大学の時間割とは相性が悪い。日付が指定された祝日が何曜日になるかはある程度ランダムに分布するが、「ハッピーマンデー」は常に月曜日なのだから、月曜日にしかやらない授業がいつも割を食う。

春分・秋分の日がいつになるかは、国立天文台の作成する暦に基づいて前年の2月に決定される。これと同じように、現在「ハッピーマンデー」に指定されている祝日を、「ハッピーマンデー」から「ハッピーフライデー」までに分散させ、そのどれにするかは、前の年の早い時期にバランスを見て決めたらよいのではないだろうか。少なくとも大学人にとってはそういう制度の方がうれしい。

もっとも、「ハッピーチューズデー」「ハッピーウェンズデー」「ハッピーサーズデー」の3つは、連休にならないので、あまり「ハッピー」ではないかもしれない。個人的には、何曜日だろうと、週の半ばに休日が入るのは大歓迎だが。

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March 31, 2012

お花見

今年は少し遅れているが、そろそろお花見の季節である。家の近くの犬の散歩場の公園でも、臨時のトイレと大きなゴミ捨て場が設置された。

例年は、これに加えて、屋台のための電気の配線がなされるのだが、今年から、屋台は禁止になった。

屋台が公園の中の一番広々とした場所を占有すると、花見をする人が隅に追いやられる状態になってしまう。また、食べ物を使い捨ての発泡スチロール容器に入れて売るので、大量のゴミが出る。もちろん、駅前の店で弁当を買ってもゴミは出るが、買いに行く面倒を考えると、家から持ち帰りのできる容器に入れてお弁当をもってくる人が増えるだろう。

川沿いの公園では、以前はバーベキューも黙認されていた。公園で焚き火などをすることは条例で禁止されているが、お花見の時期のバーベキューに関しては、うるさいことを言われなかった。これも、近隣の迷惑や煙が桜を痛めるということで厳格に取り締まることになった。はじめのうちは、知らずにコンロなどを用意をしてきて、あわてふためく人もいたが、最近では当り前のように、皆調理済の食材をもってきている。

バーベキューができなくなったり屋台がなくなったりすることに一抹の寂しさを感じなくもないが、それだけ桜を見ることに専念できるようになるのはよいことかもしれない。

公園には、普通の屑篭とは別に、散歩中の犬が産出するゴミを捨てる専用の箱が何箇所か用意されている。地元の人はここには人間のゴミは捨てないが、年に1度しかこの公園に来ない余所者の中には、平気で人間のゴミを捨てる人がいる。ゴミ箱の蓋の上にはっきりと、犬用のゴミ箱だと書いてあるのに。

捨てようとして蓋をあけた場合、人間の出したゴミが入っていると、何かすごく汚らしいものを見たような気になるのはなぜだろうか。

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February 29, 2012

50 Words for Snow

雪が多い地域に住む人の言語は雪をより細かく言い分けるようにできている、というのは一見もっともらしく響くが、言語学的には正しくない。このような「伝説」でもっとも広く流布してしまったのが、北米に住むアジア系の人々の「雪」をあらわす語に関する伝説だろう。これはほとんど神話の類いである。

もともとは、アメリカの人類学者が、エスキモー人は、雪を少なくとも「積った雪」「降っている雪」「ふぶいている雪」「雪のふきだまり」を別々の語で言い分けていると言い出したことに端を発するが、それが、言語学者の手になる入門書などで尾鰭がついて、4 から 6、10、20、50 と「雪」をあらわす語の数が増幅していってしまった。

詳しい顛末は前に『言語学の方法』という本の中で紹介したので省くが、英語でも簡単に22個以上の雪をあらわす語があげることができるということを言っている人もいる。これは、何をもって別々の語と数えるかをいい加減にすると、語の数だけが一人歩きをするという例である。拙著では、日本語でも、いい加減に数えれば、30近くあげることができると指摘しておいた(その中には、もちろん、「雪達磨」も入っている)。

ところで、標題だが、これは、イギリスのシンガー・ソングライターの Kate Bush の昨年の同名のアルバムの中に収録されている曲である。drifting, twisting, whiteout, avalanche などの、比較的わかりやすいものから始まり、男性のナレーションで英語の雪に関する (?) 語が延々と語られ、Kate は「あと44語」とか急き立てているだけの曲だが、だんだん、そのままでは「雪」をあらわす語とは考えられないものになってくる。crème-bouffant のようなフランス語、peDtaH 'ej chIS qo' のような Klingon も出てくる。ようやく最後の50番目に snow が出るが、これで英語に雪をあらわす語が50もあるとは誰も思わないだろう。つまり、他の言語でも同じことではないかと納得させる。

このように、伝聞によって情報が伝わるときに、言葉が一人歩きをするということがある。それが言われた前後の文脈を忘れて、あるいは意図的に無視して一部だけを伝えると、結果は思いもかけないことになる。今日ではインターネットによって情報があっという間に伝わるが、その際に前後の文脈を剥ぎ取った形になってはいないか、注意していかないととんでもないことになるのである。

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January 31, 2012

未完の場

年末年始の休みを利用して、家族でスペインを旅行した。お目当ての一つはバルセロナで建設中のサグラダ・ファミリア(聖家族)である。今年で着工以来130年になるが、完成まで200年はかかると思われていたのが、最近の観光客の増加でようやく目途が立ち、あと十数年で完成すると言われている。

これはアントニ・ガウディが、40年以上もかけたまま未完に終ったものだが、今は日本人の主任彫刻家外尾悦郎氏も関わり、近代的な道具も駆使して着々と完成に近づいているらしい。

長い年月と言えば、松蔭女子学院も今年で120年を迎える。1892年に松蔭女学校として創立されたのが始まりである。

建築物はいくら長い年月がかかってもいつかは完成する。一方、学校というのは、120年あるいは200年かかっても完成ということはないだろう。

大学で新しい学科を作ったときには、4年間は申請内容から大きな変更は許されない。4年目は「完成年度」と呼ばれ、最初の卒業生が出ればいちおうの「完成」であるが、申請時には気付かなかった様々な問題の解決と改良の始まりでもある。この段階に入ると決して「完成」することはない。

建物は、改修することはあるが、基本的にそれを構成する素材は変わらない。一方、大学は、学生は原則として4年で入れ替わり、教職員も入れ替わりがある。

つまり、大学というのは、実体があるものというよりは、人々が通りすぎていく「場」のようなものなのだ。120年の間に通りすぎた人々の一人一人の記憶の中に存在するものとして。

そうなると、大学に関わる人間としてなすべきことは、通りすぎた後、「いいところだったなあ」という思い出をもってもらえるような場をつくることになる。場そのものは決して完成することはないだろう。そこを通りすぎる人々が少しずつ完成に近づけていってくれるものなのだから。

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December 28, 2011

余熱

寒くなってくると、熱い風呂が心地よい。ガスで沸かす風呂にはたいてい「追い焚き」の機能がついているが、わが家の「追い焚き」のボタンには「あつく」と書いてある。それを押すと、女声で「あつく」としゃべるのが愛嬌である。

追い焚きのときには、焚くと同時にポンプが回って湯を循環させる。タブの中の冷めた湯を外のボイラーで加熱して元に戻すのだが、ボイラーに火がともっている間は表示部に炎のアニメーションが出て、ポンプの回っている音もする。

面白いのは、炎の表示が消えてもしばらくはポンプの回っている音がし、実際に湯が循環していることである。大体1分間くらいはその状態が続き、やがてポンプも止って静かになる。

つまり、炎が消えてもボイラーはまだ熱いので、その余熱で湯をもう少し暖め続けているのである。たとえ1分間といえども、十分に熱い状態にあるボイラーを有効に利用しようとする、このしくみを設計した人には頭が下がる。

「余熱」という言葉は、「余計」という消極的な印象よりも、「余裕」という積極的な印象を与える。「余」という漢字は、もともと、スコップでゆったりとのばし広げることで、ゆとりのあることだという。人生もこのように生きることができたらと思う。

もちろん、今年の原子炉の「余熱」のように、熱がいつまでも下がらないのは困る。人間も熱でカッカとするのではなく、ほかほかとした暖かさでいきたい。

寒いとどうしても暖かい話を求めてしまうのはやむを得ないが、今年もあとわずか。イギリスの詩人シェリーの「冬来たりなば春遠からず」(If winter comes, can spring be far behind?) ということで今年を終えることにしたい。

よいお年を。

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November 30, 2011

長老

16年前、阪神・淡路大震災の直後、ある数学の雑誌に「日記」を連載していた。1回目が4月号で、原稿の締切が2月の初めだったように記憶している。12か月に渡った連載は、震災について「震災」という言葉を一切使わずに書く、という形式を守って書いてみた。

その第11回目に「長老は元気だ」と題して、地元の言語学会(関西言語学会)に行ったことを書いた。関西言語学会の20周年を記念しての、理論言語学のパイオニアの先生方が勢揃いした、今にして思えば豪華なシンポジウムだった。

先週末は日本言語学会の秋季大会があった。1995年の学会の会場校であった大阪外国語大学が統合された先の大阪大学で開かれたというのも面白い偶然だった。ここは12年前まで勤めていたところなのだが、その後、ほとんど行く機会がなく、実に久し振りだった。駅から上っていく坂からして大きく変わっていて、まるで初めての大学に行く気分だった。

ちょうど一年前にも日本言語学会について書いた。そのときは場所に深い意味があると思わず書かなかったが、仙台だった。もちろん、その半年後に起こることなど誰も予想していなかった。

学会ではないが、日本私立大学協会の秋季総会が10月に青森であった。これも、昨年の東北新幹線の新青森までの開通を祝ってすでに計画されていたことである。3月以降、開催地を変更するかという話にもなったらしいが、こんなときだからこそ、という心意気で予定通り開催されたと聞く。結果は、東北支部の力がこもった、すばらしい総会だった。

去年も書いたことだが、学会の楽しみの一つは懇親会である。見知らぬ土地の場合には珍しい料理も楽しみだが、久し振りに直に会う(最近はネット上でしか「会う」ことのない人も多い)人と話をすることが貴重な時間である。

しかし、最近では、こういう場で世代の差を感じるようになった。そもそも、こちらが話をしたいと思う「若い」人はあまり懇親会に来ない。一つには飲食物の質に対するコストパフォーマンスの問題かもしれない。「年寄り」と話をしても面白くないということもあるだろう。

そして、16年経って、自分が、「長老」とは言えなくても、「年寄り」に分類される方に入っているかもしれないことを自覚した。気がついたら同年代の研究者と「近ごろの若い者は」のような愚痴をこぼし合っていたからである。

頑固で敬遠される年寄りになりそうな自分を恐れる。

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October 31, 2011

美学

Apple 社の前の CEO、Steve Jobs 氏が亡くなってからもうすぐ1か月になる。すでに、この伝説の人について、各方面で様々なことが語られており、その早すぎる死を惜しむ声が圧倒的だ。

自ら作った会社をいったん追放され、その後、呼び戻されて会社を立て直すという波乱万丈の生涯はよく知られている。20年近く前、前任校の文学部の学生向けにコンピュータの授業をしていたことがあった。そのときに使用したのは、彼が追放されている間に作ったNeXT社の製品である。日本で最初に大量に導入した大学であったことが懐しく思い出される。

NeXT というコンピュータは今日の Macintosh の原形をなすもので、Jobs氏のいない Apple 社の作っていた、当時の Macintosh とは一線を画すものだった。UNIX OS を採用しながら、洗練された美しい GUIを用意し、いわゆる文科系の学生にもとっつきやすいものだった(と思う)。

コンピュータのデザインで美しさというのは大事である。それも単なる「機能美」にとどまるのでは、ともすると無味乾燥になり、飽きがくる。毎日見つめながら仕事をする機械であるのだから、我慢しながら使うようなものであってはならない。

「形から入る」という言い方がある。これは、「外見より中身」という実質的な発想にあえて水を差す言い方なのかもしれない。よい中身はよい形が用意されてこそ実現するということだろう。

今日の Apple のような大会社になっても、仕事をやめる直前まで、Jobs 氏は自社の製品のデザインに目を光らせていたと言われる。新製品の発表も、「制服」とも言える黒のタートルネックとジーンズ姿で自らおこなっていた。これも彼なりの「形から入る」プリゼンテーションの美学だったのだろう。

「制服」と言えば、同じような意味だと思ったのは、先日の創立120年記念シンポジウムの基調講演でのコシノヒロコさんの言葉である。自分の娘たちを松蔭中高に入れたのは「制服がかわいかったから」だという。これも、何よりも形を大事にするデザイナーの発言であるだけに、よく考えると意味深い言葉である。

教育ではもちろん中身が大事である。制服などは二の次と考えるべきなのかもしれない。しかし毎日着る服に愛着がもてなくては学校に来る気も起こらないだろう。キャンパスがゴミだらけでは勉強する気も失せるだろう。われわれ学校関係者は、生徒・学生たちによい教育を提供する義務があるが、中身だけでなく、形の面でもよい環境を提供する必要があると、あらためて思う。

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September 30, 2011

檀尻

「だんじり」というのは、山車(だし)の主に関西での呼び方である。語源については様々な説があり、漢字表記はあてにならない。「檀」は「まゆみ」という木の名前、あるいは「檀那」「檀家」の一字目だが、山車とは結びつかない。

語源はともかく、家の近くの駅前で毎年恒例の「だんじり練り回し」が先日おこなわれた。これは、駅前の数十メートルほどの直線を全力疾走でだんじりを走らせ、正面の酒店にあわやぶつかるかというところで制動をかけてとめるということを2、3回繰り返すものである。

20数年前にはじめて見たときにはひやひやして見たものだが、最近では制動を早目にかけるようになったのか、結構手前で止まるので、心臓には優しくなっている。

だんじりは近くの神社のもので、2つある。一つは「保存会」の役員が乗り、制動役の2人も長老と思われる人である。おそらく一番偉い人が太い木の棒を地面に突き立ててだんじりを止めるという大役をまかされるのだろう。もう一つは「青年会」の人たちが乗る。「青年」といっても、40代、50代である。

今年も、この神社の総本社になる神社から応援のだんじりがもう一台来て、合計3台の練り回しとなった。驚いたのは、応援のだんじりは「青年会」のものかと思われるが、アフロのかつらをかぶった、本物の「青年」が乗っていたことだ。そして、どのだんじりにも、女性が乗っていたが、今ではこれもごく普通のことになっている。

関西のだんじりと言えば、街中を疾走する岸和田のだんじりが有名である。こちらは全力疾走のまま90度の方向転換をすることで度肝をぬく。今の岸和田のだんじりはどうか知らないが、昔は、当然のように女性禁制だった。しかし、それが思わぬ結果をもたらすことがある。

来週からNHKではじまる連続ドラマでは、「女だてらに」だんじりに乗りたいと思ったヒロインが、その夢の代わりに洋服作りに向かう。娘3人をファッションデザイナーとして育てた、実在の小篠綾子さんがモデルであり、娘はそれぞれ、ヒロコ、ジュンコ、ミチコさんである。本学では中高や短大の縁で、ヒロコさんとミチコさんに客員教授を委嘱している。

来年創立120周年を迎える松蔭は、10月22日に国際的に活躍している卒業生を迎えてシンポジウムを計画しているが、コシノヒロコさんにも基調講演をお願いしている。もちろん、だんじりの話ではなく「人生をデザインする」というタイトルだが、疾走感のあふれる話が楽しみである。

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August 31, 2011

優良

5年に一度の運転免許証の更新に行ってきた。前回は普通の更新センターに行ってひどく時間がかかったが、近くて交通の便もよいところに「優良・高齢運転者更新センター」というのができたので、そこに行ってみた。

もちろん、区分は「優良」の方である。5年間無事故・無違反であったためである。実際、この5年間、車を運転することがほとんどなかったのであるから、当然である。

ここでは、事故などの件数の絶対的な少なさで「優良」さを測っている。運転の時間に応じての相対的な事故の発生割合にした方が合理的であるようにも思うが、そもそも運転の時間を測ることがむずかしいので実現性は低いだろう。また、全く運転しない人は、割合が 0/0 という不定の数になってしまうので、「優良」であるともないとも言えなくなり、かえって不合理になる。

過去5年間に一度も事故を起こさなかったのだから「優良」と言ってよいのではないか、という見方もできる。しかし、この考え方の危険なところは、今後の5年間に事故を起こさないことが保証されないということだ。

運転の時間の長い人が全く事故を起こさなかったのであれば、今後も事故を起こさないだろうと予測されるが。そもそもあまり運転していなかった人が(たまたま)事故を起こさなかったからと言って、何の予測もできない。というより、むしろ、運転に慣れていない分、事故を起こしやすいかもしれない。

しかし、個人的には「優良」として扱ってくれるのは有難いことである。30分の「講習」で済むからだ。講習の中のビデオと言うと、昔は事故の悲惨な映像を見せられたものだ。今回は、飲酒運転にからむ法改正があったせいか、同乗も、酒を勧めるのも、罪になるということを強調した、事故を起こす前の予防に力を入れたものだった。

もう一つの大きな変化は、免許証の IC カード化である。IC カードのおかげで、電車に乗るのも、飛行機に乗るのも、サイフをかざすだけですむようになっているが、免許証をかざす場面というのは想像しにくい。でも暗証番号を登録させられたので、いずれ何かに使うつもりなのだろう。

ただし、便利さは時に不具合も生む。サイフの中に IC カードが何枚も入っていると、干渉を起こして、しかるべきカードの情報をうまく読み込んでくれないことがある。その度にいちいち当該のカードをとり出してかざさないといけなくなり、うっとうしい。

まあ、ほとんど運転しないのだから、免許証をサイフに入れておかなければよいのだが。

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July 31, 2011

2つの Bar

先日、買ったばかりのタブレット機器のスイッチがうまく働かないので、心斎橋の直営店に持ち込んで見てもらった。このメーカーは全国に何箇所かGenius Bar という受け付け窓口を開いていて、専門家がその場で見てくれる。今まで噂には聞いていたが、実際に行ってみるのははじめてだった。

Bar という名前の通り、カウンターの向こうにはその会社の機器ならばどんな相談にも応じるという構えのバーテンダーならぬ genius(天才)が控えている。待っている間も、すぐ隣では、その会社のコンピュータの細かな使い方のチュートリアルをやっていて、それを見ていれば退屈はしなかった。

やがて予約の時間が来たときに、こちらで持ち込んだ機械を見せて、症状を説明すると、あっさり、在庫を調べた上で新品に交換してくれるということだった。30分くらい待った時間も気にならないくらい、満足して帰ったのは言うまでもない。

その bar では、従業員の一人一人が自主性に任せられながら、皆が顧客を心からもてなし、満足してもらおうと思って動いているという感じで、予定調和的に店の雰囲気がよくなっていた。何しろ外国では、贋物を持ちこんでも親切に見てくれたという話だ。

この日は予約の時間まで大分時間があったので、その前に、お昼を兼ねて、すぐ近くの bar にも寄ってみることにした。こちらは零下2度に冷したビールを飲ませるという bar で、テレビにもとりあげられたばかりだし、日曜だったので、店の外で1時間以上待つことになった。

それはもともと覚悟の上だったのだが、待っている間に汗を拭く紙ナプキンを配ってくれたり、水を持ってきてくれたり、ここでも従業員がもてなしの心をもって気を遣ってくれているのがよくわかった。水も小さな紙コップに少しだけなのは、その後のビールの喜びを損わないようにという気配りなのだろうと、好意的に感じてしまうくらいだった。

これだけの列ができるのだから、店内の時間制限をしたら、とも思ったが、中に入ってみて、それは浅はかな考えであったことに思い至った。中はテーブルはあるが椅子はなく、もともと長居をするようにはできていない。そして、店員にうるさく言われなくても、冷たい飲み物と美味しい食べものに満足して、自然と、適当な時間で店を出ていくことになる。もちろん中での従業員の態度もそれに貢献している。せっかくの来店がせかされて出ていくというのではお互いに楽しくなかっただろう。

今日は先週に引き続いてオープンキャンパスの日である。学生スタッフに活躍してもらわなくてはならない。一人一人がおもてなしの心をもって高校生に接してくれることを期待したい。

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