卒業
3月は卒業のシーズンである。「卒業」という言葉は、学校の課程を終える場合だけでなく、漫画とかゲームとか芸能人とか、一時夢中になっていたことに、もやは関心をもたなくなる場合にも用いられる。「社会人になる以上、もう、FF は卒業だ」のように。
また、最近では、今まで続けていた仕事に区切りをつける場合にもこの言葉が使われるようになってきた。典型的なのは芸能界で、グループから抜けるときだろう。また、テレビなどで、一つの番組の担当からはずれる場合にも使われる。「脱退」とか「担当終了」というドライな言葉より、前向きな感じがして好まれるのかもしれない。
このような「卒業」に通常涙は伴わない。「卒業」が必ずしも「別れ」を意味しないからだろう。「脱退」と「引退」とでは、かなり印象が違う。
教育課程の「卒業」に関しては、保育園・幼稚園の「卒園」からはじまって、小学校、中学校、高等学校、大学の「卒業」、そして、大学院の「修了」と、数多くの節目がある。人生は連続しているのに、あえて区切りをつけたがるというのは、「終わり」よりも「始まり」を意識したいという希望のあらわれなのかもしれない。
「卒業」を自らのこととしてでなく、卒業していく彼女らを見る立場に立つと、彼女らは去っていき、自らは残る、というより「取り残される」という寂しさのようなものを覚える。いくら、送別のパーティやら打ち上げを賑やかにやっても、そのときはよいが、翌日、ふと我に返ったときの喪失感は大きい。
考えたら、学生には卒業があっても、教育する側には卒業はないのだと、しみじみ思う。
さて、この「学長ブログ」もいよいよ「卒業」の日を迎えた。Diary と言いながら、月刊ブログのようになってしまっていたが、何とか続けることができたのも、時々、思いがけない人から「読んでいますよ」と言われることがあり、しかも、その場合、しばしば好意的な反応を見せてくれる人がいたからだ。
8年間、自らへの課題として続けてきたこの営みに終止符を打つのは、ほっとするとともに、一抹の寂しさを覚えないわけでもないが、任期は任期である。こちらのほうは、さすがにほっとしている。
今まで読んでくださった方にはあらためて御礼を言うとともに、また、いつか、別の形でお目にかかることもあるかもしれないということを期待して、キーボードから指を離すことにしたい。
長い間、ありがとうございました。
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