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December 08, 2008

自由と強さ

今回の本学学生による不祥事については、すでに本学ウェブサイトでも公式な遺憾の意を表明していますが、この場を借りて、あらためて、関係者にご心配をおかけしたことをお詫びするとともに、さらに、個人的に一言述べておきたいと思います。

本学の学歌の歌詞には「自由の松蔭」という言葉があります。以前、学院報にも書いたのですが、芥川龍之介の『侏儒の言葉』の「自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない」という警句にもあるように、「自由」は、山頂の薄い空気に似て、すがすがしさともに、それを享受するには「強さ」が必要とされます。

学歌の通り、本学では、服装を含む学生の個人生活に関して基本的に自主性を重んじてきました。そのような「自由」の尊重が、最近の学生には、自分で考え自分で選択するという「強さ」を伴わない、単なる「放任」と受けとられているのではないかという危惧は今までも教職員の間にありました。

今回のことは、残念ながら、当該学生に「自由」を享受するに値する「強さ」がなかったことに加えて、われわれの側にも、学生に対して「自由」に伴う「強さ」の指導に不十分な点があったことを意味します。今まで通りではいかず、もっとコントロールした方がよいのか、いや、ごく一部の学生の例があるからといって全学生に一般化すべきではなく、もっと学生を信頼すべきではないか、など、個人的には判断が揺れているところがあります。おそらく教職員の間でもさまざまな考え方があるでしょう。

もちろん、一義的には、今回のことは過ちをおかした本人の責任で贖なうべきものですが、ただ、大学側としても、教職員と学生との間でコミュニケーションを保ち維持していくことにもっと積極的に取り組むべきではなかったかと反省しています。学生にとって大学がもっと身近なところであったらならば、学生が目の届くところにいてくれたならば、今回のようなことはあるいは未然に防げたのかもしれません。

今日、大学にはさまざまな背景の学生が入ってきています。旧態依然とした学生観では立ち向かえないほど、教職員の力量が試されるときだとも言えます。今一度、「自由の松蔭」に向けて、全学で気持を新たにすべきときが来ていると思います。

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