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August 26, 2009

雑草

毎朝犬の散歩をしている川沿いの公園は、人のよく歩くところはまだしも、川面に沿った遊歩道や中洲では草が生え放題で、夏になると川に沿って歩くのも難しくなってくる。

そこで、半年に1回くらいだろうか、草刈りがおこなわれる。草刈りは徹底していて、よく「ペンペン草も生えない」と言うが、きのうまでの雑草による緑の世界が、翌日には、土しか見えない状態になるのを目にすることになる。

どのようにしたらこのような土だけの状態にすることが可能なのかはわからないが、明らかに手で一本一本草を抜くというような悠長な作業ではないことは確かだ。電動の鎌で徹底的に刈るのだろうか。まさか、除草剤のような化学的な手段までは併用していないと思うが。

草刈りの翌日は、雑草がなくなってさっぱりした気分とともに、一方では「そこまでやるか」という疑念も生じて、一抹の寂しさを感じる。

昔読んだ話に、主人と召使いの次のようなやりとりがある。泥で汚れた靴を磨いておかなかった召使いに主人がその理由を聞くと、「外は雨なのでどうせまた汚れるから」と答える。そこで主人はお返しに、夕食をやらないことにした。「どうせまたお腹がすくのだから」という理由である。

これをそのまま応用すると、草は刈ってもどうせまた伸びる。だから刈っても無駄だという考え方もできるかもしれない。

しかし、これはあくまでも蓄積ということを無視した議論である。靴磨きでは、汚れをその都度落しておかないと定着して取りかえしのつかないことになってしまう。食事も、一食抜いたらその分余計にお腹がすくから定期的に食べた方がよいのである。一見同じことの繰り返しのように見えて、意味のあることは多い。

草刈りも、半年分の成長の後を刈っておかないと次の半年後には大変なことになる。そのように理解しても、荒涼とした景色には心が痛む。雑草にも生きる権利はあるのではないか、などとちょっと大袈裟に考えてしまう。

もっとも、さすが雑草である。翌日には小さな草が生えはじめ、1週間後にはかなり伸びてくる。2週間もすれば、前より多少すっきりした形だが緑が復活する。こうして、ほっとするとともに、また歩きにくさを嘆くことになるのである。

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