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January 17, 2010

午前5時46分

今日はセンター試験の2日目だったので、いつものように5時前に起きる日曜日だった。インフルエンザはどこに行ったのか、ほぼ順調に終えることができた。

15年前は今のように早起きではなかったので、まだ寝ていた。そのため、真っ暗な中で何が起こっているかとっさには理解できず、そのため恐怖を感じている間もなかったのは幸いだった。

揺れがおさまっても電気がつかない。夜明けにはまだ1時間以上もあり、薄暗がりの中で、だんだんと何が起こったかが明らかになってくる。家は倒れなかったが、TVも冷蔵庫も食器棚も横になっている。下駄箱も倒れ、ドアが開かない。そんな中、1時間ほどで電気が復旧したのが幸いだった。とりあえず炬燵で家族の無事を喜ぶ。

朝は電話線もつながっていたので、コンピュータをつないでメールを読むこともできた。海外でも大きく報じられているのか、安否を問い合わせるメールが来ていた。このままメールが使える状態が続くかわからないので、とりあえず、その一通への返信で無事であることを各地に知らせてもらう。

水道も、タンクにある分がなくなれば出なくなったので、携帯ラジオでニュースを聞きながら、近所の小学校の給水車に並ぶ。2、3時間並んで、ペットボトル1本にも満たない。そのうちに九州の方の県名の入った給水車も見るようになり、ポリタンクにいくつでも水がもらえるようになった。全国的には、今回の被災は局所的なものであることを悟る。

2、3日して、食べものが心細くなってきたので、電車の通っている駅まで1時間近く歩いて、大阪の方に買い出しに行く。県境を越えるとまったく別世界であることを知った。大阪でこれならば、東京の方はまったく異次元の世界だろうと思った。

水はもらえても、風呂を沸かすほどの量をもらってくるのは大変だし、そもそもガスが出ないので、風呂は沸かせない。一家で、電車の通っている駅まで30分くらい歩いてから電車にのって大阪に近いところまで移動し銭湯に行った。こうして家族で過ごす時間が長かったのは不幸中の幸いと言うべきか。

当時の勤務先は大阪府内だったので、数日して研究室に行ってみたら、本棚がすっかり倒れ、ドアがなかなか開かなかった。これを機会に不要の本を捨てながら、整理していったら1週間かかった。このへんのいきさつは、丁度この月から連載をすることになっていた雑誌の「日記」に詳しく書いておいた。

こうして、水が出るまで1か月、ガスが出るまで2か月、電車が開通するまで5か月の長期戦が始まったのである。

15年目、6434人の方々のためにあらためて黙祷を捧げたい。

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