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February 28, 2010

他人事

「ひとごと」とは自分に関係ないということである。これを漢字で「人事」と書くと、「じんじ」と読みまちがえそうなので、「他人事」と書くのが普通である。

ところが、こう書くと「たにんごと」と読む人が出てきて、今日では、限定付きで辞書にも載っている。『広辞苑』の場合、第4版までは載っていなかったようだが、最新の一つ前の第5版から、「ひとごと」に「俗に『他人事』の表記にひかれて『たにんごと』ともいう」という註釈がついている。

「たにんごと」には違和感を感じざるを得ない。ちょっと前までやっていたお気に入りのSF時代劇で、武家の娘が「たにんごと」と言っていたが、よくできていたドラマだけに残念だった。

なぜ「ひと」に「他人」の字をあてるのだろうか? おそらく、そもそも「ひと」は《人間》一般を意味するのでなく、《自分以外の人間》すなわち《他人》を意味したからだろう。

例えば、「人の振り見て我が振り直せ」は、他人の振る舞いを見て自分の振る舞いを直すことであり、自分の姿を鏡で見てチェックするという意味ではない。

昔は、「人様に笑われますよ」という言い方をした、この「人様」は「世間」であり、昔は「人の目」を気にしたものだった。電事の中で物を食べるような「傍若無人」な人は昔は少なかったのだ。

ことわざにみる「人」は、どうも厄介なものらしい。「人目を気にする」「人聞きが悪い」「人の噂も75日」とか、目、耳、口にわたって、他人というのは、いっそ存在しなければ余程すっきるするようなもののようだ。

「人」が基本的には他人をあらわすとなると、「私って褒められると伸びる人だから…」というような表現に感じる違和感も明らかになる。「私」すなわち自分を「人」と言っているからである。もっとも、この表現は全体として激しく違和感に満ちていて、「人」を「性格」とかに言い替えても変だ。

一つだけ、自分をあらわす「人」があった。「人の気も知らないで…」である。この「人」は「私」であり、自分である。しかし、よく考えてみると「知らない」の主語は相手であり、その相手から見たら自分は他人でしかないのだ、という無念さがこもっている表現のようにも見える。すると結局、「人」は他人なのだろうか。

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