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April 30, 2010

3D

先日、はじめて、3D映画なるものを見た。眼鏡がいささか重い。2時間くらいが限度ではないかと思った。今後は、3D方式が家庭のテレビにも採用されていくという。はたして普及するだろうか。

テレビは映画を家庭にもちこんだものである。その映画は、言うまでもなく、写真を動くようにしたものである。写真の前にはもちろん絵画があった。どちらも2次元の表現媒体だが、われわれは風景画を見て奥行きを感じる。これは遠近法や陰影によって、3次元空間を2次元平面上に表現する技法がはるか昔に開発されてきているからである。

コンピュータグラフィックスの世界でも、3Dと言えば影などによって立体感を感じさせる技法のことだった。2次元平面というのは、人間にとって、十分情報量があるものなのだ。

2次元の平面に描かれたものを見て立体感をもつのは人間の想像力の賜物である。われわれはそうやって長い間暮してきた。写真をわざわざ立体化する必要を感じてこなかったのも、自らの想像力という心の眼鏡があれば十分だと思っていたからだろう。だったら映画を3Dにする必要もないのかもしれない。

ところで、3次元が2次元に投影できるのであれば、2次元を1次元に投影することもできるのではないか? 1次元というのは線である。そこに遠近法のような技法が適用できるとは思えないが、ふと考えると、われわれの使う「ことば」というのは、音や文字の列として考えると1次元の存在である。そして、その「ことば」によって、われわれは、2次元的な広がりにとどまらず3次元空間についても自由に語ってきている。もちろん、想像力の助けを借りて。

現在のテクノロジーの発達は、一方で、3D映像のような想像力の働く余地を少なくするような産物を生む一方、コンピュータによる文字でのコミュニケーションという、最大限に想像力を働かせる必要のある産物を生みだしている。特に、後者に関しては、最近のSNSやTwitterのようなしくみによって、各個人が手元の携帯端末でいつでもどこでも発信できるようになっている。若者の「活字離れ」という評判とは裏腹に、おそらく、今の若者は、パソコンや携帯電話のなかった時代よりもずっと多くの文字を書いているのではないだろうか。

最新のテクノロジーが、われわれがあくまでも「文字」にこだわることを助けているというという事実は、考えてみると奥深い。

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