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May 31, 2010

紙背文書

きのうの日曜日、京都で開催されている、冷泉家が所蔵する古典籍の展示を夫婦2人で見てきた。

高校生のときに教科書で一部を読んだことはあるかもしれないが、藤原定家の『明月記』の自筆本など、素人目にも貴重な展示が並んでいた。書道部なのだろうか、男女高校生の姿もあり、なかなかのにぎわいだった。

そこで、紙背文書というものを初めて見た。『明月記』の一部は裏紙に書かれている。すでに何かに使った紙の裏を再利用して原稿が書かれているのである。その裏側に書かれているもとの文書を紙背文書と言う。これは、当然断片的であったりしているわけだが、研究者にとっては貴重な資料らしい。

裏紙を使うのは、鎌倉時代はまだまだ紙が貴重品であったためらしいが、それがそのまま千年近く後まで残るとは書いた本人も思っていなかったのではないだろうか。下書きならばともかく、後世に残すものに裏紙を使うという発想には意表をつかれた。

今日では、裏紙の利用は、「エコ」の観点から好ましいとされる。自分でも、新たにプリンタを買うときには、裏紙に印刷しても紙詰まりを起こさない機種を選んでいる。メーカーによっては、「裏紙を使うな」としているところもあるが、とんでもない話である。

しかし、今日では、出版社に電子的に原稿を送るのが一般的であり、自分で下書きを印刷した裏紙が外部の人の目に触れることはない。その意味で、21世紀の紙背文書というものは何の価値もないだろう。

紙を節約しよう、新たに木を切るのは控えよう、という運動はこれからもますます盛んになっていくだろう。はじめから紙に印刷せずにすませようという動きもあり、Kindle や iPad, iPhone ではそのような使い方が期待されている。辞書の世界ではずっと前に紙の辞書より電子辞書という時代になっている。

先日、もう一つ意表をつかれることがあった。学生のレボートを採点していて、ページをめくると、裏面に全然無関係の印刷物が出てきた。裏紙に宿題を書いて提出していたのである。昔ならば、教師に対して「失礼」とかの考え方もあったのだろうが、今日的観点からはむしろ褒めてしかるべきである。

だからと言って点を少し余計に与えるというわけにはいかなかったのだが。

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