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January 05, 2011

無駄とゆとり

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今日は仕事初めの日。チャペルでの新年礼拝のあと、理事長、併設校の校長とともに語った挨拶の概要を思い出しながら書いてみる。

11月、12月とほとんど家にいることのできる休みがなかったため、この暮れは久し振りに家にいる日が続いた。それで、せめて自分の周りの整理でもしておこうと、本棚や引き出しの整理を何年か振りにした。

整理の一番の特効薬は「捨てる」ことである。読み終って、もう一生読むこともないだろうという本が場所をふさいでいる。きちんと縦に並べるだけでは納まらずに、本の上に横積みになっていたり、本の手前にもう一列並んでいたり、およそ目的の本を探し出すことは不可能なままに放置されている。

本というものはなかなか捨てにくいものだが、思い切って捨てて、ようやく、本棚にも少しゆとりができた。

引き出しの中には、今から見たらガラクタとか言いようのないものが多く、特に目についたのは、昔のパソコン用のPCカードの類いである。昔のパソコンは標準的な機能が貧弱で、無線LANなどは、別売のカードを本体に挿さないと使えなかった。これらが標準装備となった今日のパソコンに、こういったカードの出番はない。

なのに、なぜ後生大事にとっておいたのかと言われると、「もったいながり屋」だからとしか言いようがない。包み紙とか、紐とかを捨てることができないおばあさんと同じ心理だ。

「もったいない」という言葉は世界的に広められ、大事な考え方だとは思うが、「もったいない」と思う心が逆に「無駄」を生んでいるということもあると思う。空間を無駄に占有して、その部分を有効に使うことができていないからだ。

「捨てる」ことにより、有効に使うことのできる空間が生まれ、それは「ゆとり」にもつながる。「もったいない」と思う心と「ゆとり」をもちたいと思う心、これは本来対立するものではないはずだが、現実にはどこで線を引くかがむずかしい。

本やパソコンの周辺機器ならば「捨てる」ことにそれほど躊躇はいらないが、これが制度の問題となると難しい。古くなって機能していない制度をいつどのようにやめるか、その決断は容易ではない。

教育機関に「ゆとり」は必要だが、「無駄」が多くては経営として成り立たたない。そのへんの境目の見極めがむずかしいと、この仕事を3年やってきて、つくづく思うようになってきた。

そんなことを考えた年末だった。

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