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June 20, 2011

もう一つの被災

先々週、長崎での「キリスト教学校教育同盟」の総会に出席してきた。久々の「関西圏」からの脱出である。5月に広島出張があったが、これは、この同盟の関西地区支部の総会である。全国を4つに分けているので、「関西地区」は名古屋から広島までを含んでおり、気分としては関西のままだった。

総会では、昨年度の事業報告と決算、新年度の事業計画と予算案などの事務的な議題の他に毎年何らか企画があるが、今年は、「平和教育の現実と課題」というシンポジウムだった。パネリストに広島、沖縄からの代表に地元の長崎の代表が加わり、第2次世界大戦で大きな被害を受けた3地区それぞれでの平和教育のとりくみが報告された。

本学でも毎年8月に、学生を派遣して広島に千羽鶴を届ける運動を続けているが、昨年は別に予算を割り当てて、19名の学生が教職員の引率の下に長崎を訪問した。

東日本大震災が阪神・淡路大震災の年から16年後に起こったということはすぐに頭に浮かんだが、前の震災が、広島・長崎への原爆の投下とそれに先立つ沖縄への米軍の上陸の年から丁度50年後に起こったということは、うかつにも、今回の長崎でのシンポジウムを聞くまで想起していなかった。

世界にただ2つの被爆地では、ずっと平和教育を続けていると言う。「平和」という言葉の重みがおそらく、ずっと違うのだろう。戦争が人間の起こすものである以上、同じ人間の努力によってそれを防がなくてはならない。

神戸と東日本が16年を隔てて共通するのは地震である。これは自然現象であり、人間の努力によって完全に防止することはできない。せいぜい「防災教育」を徹底するくらいが関の山だろうが、危機管理としてはいくらでもやるべきことはある。

一方、広島・長崎と東日本が66年を隔てて共通するのは、ウランの核分裂反応である。原子力発電は、かつて、原子力の「平和利用」と言われた。純度の低い「燃料」は核爆発することもなく、さらに、最近では、CO2の問題もない環境にやさしい発電方式とも言われていた。

それが、いったん事故が起こると、多くの人は、原発に原爆を連想し、被曝と被爆に差を感じない。今回のシンポジウムは地震の起こるずっと前から企画されていたのだが、その意味では、両者の関係をあらためて考えさせることになった。

なお、狼少年のその後については調査中である。何か消息がわかったらまた報告したい。

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