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March 31, 2013

ガリバー効果

アイルランドの作家スウィフトに一連の『ガリバー旅行記』がある。第1篇はガリバーが小人の国リリパットに行って、自分が(相対的に)巨人になる話だが、第2篇は逆に自分が小人になってしまう、巨人の国ブロブディンナグに行く。第3篇は天空の国ラピュタや日本などを訪れ、第4篇で行くのは馬の国フウイヌムだ。

小人の国でも巨人の国でもガリバー自身の大きさは変わらず、周りが小さくなったり大きくなったりしているだけである。不思議の国のアリスのように、実際に大きさが変化したわけではない。それなのに、ガリバーにとっては、あたかも彼自身が伸びたり縮んだりしているような気になったのではないだろうか。

最近同じような経験をした。といっても、リリパット国のような国に行ってきたわけではない。単に、自分が生まれ育ったところを40年近くの後に訪れてみただけである。東京で会議があったときに、会議前の時間を利用して、会場から30分とかからないところへ行ってみた。

まず感じたのは、住んでいた町の端から端まで歩くのがあっという間だったということである。子どものころの時間の感覚などはあてにならない。永遠の時間がかかると思われたことが今ではほんの一瞬で終ってしまう。

道路拡張で、昔住んでいた家は跡片もなかったので、かすかに見覚えのあった交差点がなかったら、住んでいた家のあった場所も同定できなかっただろう。その近くの坂も、よく見れば、昔小学校に通っていたときに通っていた坂なのだが、はじめは坂だとは認識できなかった。傾斜があまりにも緩やかだった(と感じられた)からである。

子どものころの時間の感覚と並んで、距離の感覚、また「角度の感覚」などというものも変わって感じられるということを痛感した。生まれ育ったところは、自分にとってリリパット国となっていたのである。

しかし、腑に落ちないのは、このような「ガリバー効果」が、子どものころに比べて、自分の体が大きくなったためとは考えにくいことである。ここに20代の半ばまで住んでいたからである。20代に比べて、今の方が体が大きくなったということはあり得ない。むしろ縮んでいるくらいだ。

「三つ子の魂百まで」というが、故郷の記憶というのは小さいときのものが固定化して残るのかもしれない。

明日から新学期が始まる。新人生には、キャンパスの記憶がどのように固定化されていくのだろうか、楽しみである。

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