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May 31, 2013

シュレーディンガーの三毛猫

「シュレーディンガーの猫」という話がある。蓋をした箱の中に一匹の猫を入れておき、中に、半減期が1時間の放射性物質を入れておく。1時間後に確率50%で放射線がとび出すと、検出器に連動した装置が青酸カリの瓶を壊し、毒ガスが発生して猫は死ぬ。蓋を閉めてから1時間たったとき、はたして猫は死んでいるか生きているか、という問題である。

蓋を開けてみたら、どちらかが判明するが、蓋を開ける直前に猫はどのような状態にあるのかというと、量子力学では、2つの可能な状態の「重ね合わせ」であるとする。つまり、可哀相な猫は半死半生の状態にあり、蓋をあけて「観測」することによって、状態が1つに収束して生死が決まると考える。

個人的には、猫を殺してしまうのは可哀相なので、青酸カリの代わりに墨汁にしておき、はじめに全身白い猫を入れておいたら、蓋をあけたときに白猫のままか、黒猫に変身しているか、という問題にしたらよかったのにと思う。そしたら、「重ね合わせ」というのは三毛猫(二毛猫?)のようなものになるのだろうか。蓋を開けたら真っ白か真っ黒に収束する?

言語の世界でこれに対応するのが「曖昧文」である。解釈が2通り以上ある文だが、文の形としては1つなので、複数の解釈が「重ね合わせ」の状態にあると言えるかもしれない。有名なところでは「屋根まで飛んだ」というのがある。これが通常の「シャボン玉飛んだ」の後だと、シャボン玉の飛んだ先が屋根であったということだが、「台風が来た」の後だと、屋根そのものが飛んだことになる。文脈を与えることによって、解釈が一つに収束するのである。

大学というところも、シュレーデインガーの猫のように曖昧なものだという気がする。言うまでもなく、大学は教育機関なので、われわれの用語で「教学」ということが一番大事な業務だが、その一方で、学校法人として成り立っていくために、「経営」という観点を無視することはできない。この2つの業務を全く違った人たちが担当していればそれぞれに割りきれるのだろうが、それはそれで、様々な問題が生じかねず、多くの場合、両方に片脚ずつ突っこんだ人たちが大学の運営をおこなっている。

われわれは、蓋を開けてみたら、半死半生ということではないまでも、墨汁まみれになってあくせくしている、というところが実体なのかもしれない。

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