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March 31, 2014

桜と人工知能

関西でもようやく桜が開花しはじめた。桜は、開花から満開を経て葉桜になるまでの、ほんのわずかの期間、楽しませてくれるにすぎない。もちろん、その後に茂る葉っぱは、桜餅(道明寺)の材料として口にできるし、秋の紅葉も春に劣らず美しいものだが、淡いピンクの花びらこそ、桜にとっての一世一代の見せ所のように思う。

桜は、咲いたと思うと散りはじめる。決して散らない桜があったら恐い。夏になっても満開のまま、秋になっても紅葉せず、かと言って青々とした葉が出てくるでもなく、ピンクの花びらしか見えない桜。

桜は散ってこそ皆に愛される、というのはいかにも日本的な美学のようにも思えるが、これが、かつては命を大事にしない考え方にもつながってしまったのかもしれないと思うと、複雑な気分である。

今日で2013年度が終わるが、今年度限りで終了した担当科目に「人工知能」というのがあった。英語英米文学科の専門科目である。教材としては、英語の映画(ただし日本語字幕付)を見せたり、英語の文献を読んでもらったりと、いちおう英語の授業なのだが、科目の目的は、人間と計算機の違いを考えるということだった。

毎年後期の始めに見せていたのが、Bicentennial Man という、Robin Williams 主演の映画である。題名通り、200年生きた男の話だが、主人公 Andrew は、もとはロボットだった。初めは、外見もいかにもロボットだったのだが、次第にアップグレードを重ねていって、最後は普通の人間と同じ外見になり、さらに人工の内蔵や循環器などを導入していって、どんどん人間と同じようになる。

彼には、設計上のミスか、始めから高度の感情のシステムがあり、愛する人との一緒の生活を望み、そのため、「老化」するしくみも自分に導入してもらう。自分だけが年をとらず、相手が一方的に老けていくのはいやだったからだ。映画は最後に、希望通り、「死」も可能になった Andrew が愛する人とほぼ同時に死ぬことによって終わる。

毎年、学生たちに、自分が Andrew の立場だったら、同じように死ぬことを望むか、と聞いてみたのだが、ほとんどの人が、自分も死ぬことを望むと答えていた。自分だけが死なずに、愛する人が死ぬのを見るのは辛すぎるからということだった。

桜の散ってこその美しさと同じように、人間もいつかは死ぬということを覚悟しているからこそ、真剣に生きようと思うのだろう。そう思うと、はらはらと散る桜の花びらがより一層いとおしいものに思えてくる。

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