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August 31, 2014

「残す」文化

先週、提携関係を結ぶことを予定している韓国の大学を訪問してきた。本学の10倍の規模があり、敷地も広くて綺麗で、うちの学生たちが研修に来るときにも快適に過ごせるだろうと思われた。

他国を訪問するときにいつも痛感するのが、その国のおもてなしの心の大きさである。おりしも、韓国南部が記録的な大雨の日だったのだが、空港へ出迎えてくれた大学の公用車の運転手さんは、冷静に車を動かし、2時間ほど北へ走ったところにある大学へ無事にわれわれを運んでくれた。キャンパスに着けば、訪問予定の部署には「歓迎」の文字がディスプレイに映し出され、説明の先生や職員の人たちが揃って待機していてくれるのである。

大学の歓待振りもさることながら、今回あらためて感じたのが、食事のあり方である。前に、台湾の大学を訪れたときに乾杯のやり方について書いたが(2008年12月30日付)、今回は、食事そのものの話である。

韓国のおもてなしの料理と言うと、細かく砕いたお粥から始まり、薬膳風の野菜中心のおかずが次々に出てきて、最後に白いご飯とチゲの汁椀が出る。茶碗も箸も金属であり、熱くなるためか、ご飯茶碗は手にもたずテーブルに置いたままスプーンで食べる。

韓国では、食べきれないほどの食事を出すことが礼儀だとされる。したがって、客の方も、残しても失礼にはならない。むしろ、十分に出して頂いたということを示すために残すのが礼儀だという。これは、随分と無駄なことのようにも思えるが、その由来を聞いて納得した。

昔の韓国は身分制が厳しく、食事も、上の者がまず食べ、その残り物を順に下の者が食べるということだったらしい。すると、出された食事を始めに全部食べてしまっては下の者が食べる分がなくなってしまうので、必ず残すようにしていたという。そのために、そもそもの量を多くしておく必要もあった。

今日では、もちろん、皆で一斉に食べるので、実際には、このような「残す」ことを前提とする給仕をする必要はないのだが、それが気持ちとして今に伝わっているのだろう。考えてみれば、自分で一人占めにせずに、自分以外の者のために「残す」という考え方は貴重である。話を一般化すると、この地球上の資源も、現在の我々の世代が使い尽してしまって、後世に残さなかったら、大変なことになる。

ただ、積極的に新しいものを作り出して後世に利用してもらうという発想も必要だろう。いくら「福」があるからとはいえ、後世に「残り物」を与えるだけではまずいだろうと思う。

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