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January 17, 2015

R.I.P.

英語圏では、死者に対して、哀悼の意を rest in peace(略して、R.I.P.)という表現であらわすことがある。ちょうど、日本語の「ご冥福をお祈りします」に対応する。「冥福」は「冥途の幸福」であり、死後に「あの世」で安らかにすごしてほしいという気持がこめられているのは共通している。

今日、1月17日は、阪神・淡路大震災の起こった日である。今年で20年が経過したが、亡くなった6434名の方々は、20年間安らかでいられただろうか。地震という、予期しない出来事によって命を落とすという事態なので、できることならばやり直したい、もう少し覚悟ができてからそのような時を迎えたかった、という思いもあったのではないかと思う。

一方、失なわれていったものよりも、突然失なう側になってしまった人の悲しみも大きいと思う。死にゆくものに対して、rest in peace、安らかに、と言うことはできても、自分自身が「安らか」にはとてもなれない。きのうまでの日常が突然に変わってしまった戸惑いは、どうしようもなく、やり場のない悔しさなのである。

別れというのは、覚悟をしていても辛いものである。ましてやそれが突然であると、自分に何か落度があったのではないか、あの時、別のやり方があったのではないか、と自責の念にかられることもある。そのような落ち込みから自分を救うための知恵が R.I.P. や「冥福」という考え方なのかもしれない。

つまり、去っていったものに「いいえ、あなたが自分を責めることはありませんよ。この通り私は幸せにやっていますよ」と言ってもらいたいために、安らかでいてほしいという生者の側からの思い込みが反映されている面もあるのではないだろうか。一種の survivor's guilt(生存者の自責)である。

いずれにせよ、「この世」に残ったものは、生き続けていかなくてはならない。生きて、生き抜いて、生を全うして、一足先に旅立ったものの悔しさを晴らしてやらなくてはならない。そうしてこそ、先立ったものも浮かばれ、安らかにすごすことができるのだから。

こうしてみると、「安らかに」と祈るのは、何よりも、自分自身が安らかに生きたいための祈りなのかもしれないと思えてくる。

あらためて、震災、あるいは他のどのような理由であれ、この世から去ったものに R.I.P.

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