慣性の世界
昨年から、学部の授業で iPad を使って教室内のテレビに教材を映したりしているが、教室に WiFi があるので、NHKの高校生向けの論理学入門の番組のWeb版を映して見せたりもしている。高校生向けと言っても、大学の教師が見てもなかなか参考になる番組で、昨年度の授業アンケートから、学生たちにも興味がもてる番組であることが想像できる。
番組は、講義形式ではなく、高校の映画部が、アリスとテレスという、それぞれ女子、男子の高校生の姿のアンドロイドを主人公にした映画を撮っていくという形の寸劇になっている。その過程で、脚本兼監督の高校生が三段論法の使い方などを間違えるので、顧問の先生が解説していく。
映画の主人公の名前は、言うまでもなく、古代ギリシアの哲学者に由来する。アリストテレスは、論理学での功績としても、三段論法を整理したことなどで知られるので、ここに登場させているのだろう。
アリストテレスは、様々な分野に功績を残しているが、物理学でも、彼およびその後継者の提唱していた「アリストテレス力学」といわれるものがある。これは、今日の目から見れば間違った力学であるのだが、後にガリレオが実証的に反論するまで、長い間信じられていた。
アリストテレス力学では、物体は、外から力が働かない限り静止してしまう。今日の「慣性の法則」、すなわち、物体に力が働かない限り同じ運動を続けるという原理をもつ力学とは大きく異なる。地球上で力を加えない物体がやがて止まってしまうのは、空気抵抗などの摩擦によるのである。
ところで、「慣性」というのは、物体の運動以外にもいろいろと考えられる。変化を好まず、今と同じでよいと考えるのも、一種の人間の慣性だろう。もちろん、変化さえすればよいとは限らないのだが。
言語の意味を解釈する際にも「慣性」を考える必要があるという理論がある。例えば、「ワニに食われたとき、ウサギは海を渡っていた」という文では、ウサギは海を渡ってはいないのに「渡っていた」と言える。これは、ワニに食われることのなかった「慣性の世界」を考えて、その世界では渡っていただろうから「渡っていた」と言えるのだ、とする説である。
何も変化しない慣性の世界のようなものは、われわれも日常的に使っている。さもなければ、目覚まし時計を翌朝起きる時間に合わせることにも意味を見出せなくなってくる。
慣性の法則を知らなかったアリストテレスは、慣性の世界も知らなかっただろう。常に力を加えていなくてはいけない、今の世界のみに生きていたのかもしれない。
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