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July 31, 2015

カメは幸せか

イソップの寓話に「ウサギとカメ」というものがある。あらためて言う必要もないと思うが、足の速いウサギと遅いカメが競走をして、意外なことにカメが勝ち、その原因は、ウサギの側の油断であったという教訓である。

ウサギは、自分の足の速いのに慢心し、「どうせカメなどは後からいつでも追い越せる」と思い、昼寝をしてしまう。その間にカメはウサギを追い越し、ウサギが目を覚ましたときにはすでにゴールに到達していたという話である。

もともと、こういう、いかにもお説教臭い話というのはあまり好きではないという気性に加え、自分が卯年のせいか、かねてから、この話には腑に落ちない思いがあった。

ウサギは、走るときには全力で走り、しかるべきときには休憩をとって、体に無駄に負荷をかけないようにしていた。たまたま寝過ごしたという、ただ一回の失敗をもって、全人生を否定されるような扱いはいかがなものか、という疑問である。

同じイソップのアリとキリギリスの話もそうだが、この人は、コツコツと、ひたすら真面目に働く動物が好きらしい。休憩もとらずに休みなしに走る動物だとか、歌も楽器も奏でず、ただ、食料の調達のみに従事する動物だとかには暖い目を向けるが、人生にメリハリをつけ、楽しみを見出だす動物には冷たい。

確かに、国家とか共同体全体とかを考えた場合には、カメやアリのような人々が多くいた方が都合がよいだろう。しかし、そのような共同体の中身は、はたして、幸せな人々の集う集団と言えるだろうか。

大学という共同体も、最近は外からの有形無形の圧力が感じられる。社会の役に立つ人材を養成せよ、という、無言あるいはあからさまな要請である。

もちろん、大学に社会に対する責任があることは言うまでもない。しかし、社会に役立つ人間というのは、社会を豊かにする人間でなくてはならないだろう。そのような人間は、まず自分が幸せを感じていなくてはならないのではないだろうか。自分を犠牲にしている人たちばかりで作る社会というのは、SF小説の未来世界のようで、気色悪い。

そう考えると、カメに負けたウサギに慰めの言葉をかけたくなる。「ウサギさん、あなたの失敗は、ほんの少し昼寝が長すぎたことだけなんですよ。この次は、しっかり目覚まし時計をセットして、カメさんにわずかの差で勝つように走りましょう」と。

「ウサギとカメ」の続編というのもあるそうだが、ここは素直に再試合を提案したい。そして、もちろん、ウサギを応援するのだ。

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