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August 31, 2015

We

日本語では、しばしば主語を表現しないで文を作る。これを盾にとって、「日本語に主語はない」という見当違いな主張をする人がときどきいるが、表現しないことと存在しないこととは違う。日本語にも主語はあるのだが、表現しなくてもよい場合が多いということにすぎない。

一方、英語では基本的に主語は必ず言わなくてはならない。例えば、「雨が降る」は rain という一つの動詞で言ってしまえるのだが、動詞だけでは文にならないので、意味のない it を主語の位置に置かなくてはならない。

こういう違いは、同じ内容の日本話と英語の文書を作る場合に問題になる。主語の表現されていない日本語の文を英語でどうあらわすか。受身文にして不自然な文にするよりは、日本語で表現されていない主語を補う方が望ましい。日本語で表現されていないものは一人称であることが多いから、たいてい、I か we を補うことになる。

その場合、今度は、単数の I にするか複数の we にするかという問題が生じる。もとの日本語の文では、単複の区別が曖昧なことが多いからである。はっきり話し手個人の話としているのか、少し一般化して、話し手を含む複数の人間を話題にしているのかが微妙なことが多い。

英語の一人称の問題は学術論文の際にも問題となる。一昔前は、筆者が個人であっても、I は避けるべきだ、というような教えがあったそうだが、最近では、書き手の責任をはっきりさせるために、積極的に I を使うべきだということになっている。

それでも、単著論文でも we を使うことがある。一つは、新聞の社説などの、いわゆる “editorial we” であり、論文の執筆者は一人だが、「実験などに関わったみんな」というつもりで、we have found … のように書くことがある。もう一つは、「読者と私」という意味での we。例えば、Let us discuss this finding … などというのは、読者も一緒に考えてみましょう、という感じだろうか。

We に関連して、半月ほど前のさる談話の日英それぞれの版を読み比べてみて、日本語版に意外に主語なしの文が少なく「私たち」という言い方が多いことに気づいた。英語版ではもちろん we が多用されている。主語を明確に述べるのが原則の英語版と統一するために日本語版も主語を明確にせざるを得なかったのかもしれない。

しかし、どのような意味での「私たち」であり we であるのかはわからない。英語版にごくわずか登場する I に相当する日本語は見つけられなかった。

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