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September 30, 2015

曖昧性

「曖昧」という言葉はそれ自体が曖昧で、単に意味がはっきりとしないという場合と、意味が2通以上あるという場合がある。言語学では「曖昧性 (ambiguity)」は通常後者の意味に用い、前者には「漠然性 (vagueness)」という言い方をすることがある。

「曖昧性」は「多義性 (polysemy)」ということもあり、典型的には、そもそも単語に2通り以上の意味がある場合の語彙的曖昧性がある。「おばちゃん」「おじちゃん」などは親戚関係にある人間を指す場合と、単に、一定の範囲の年齢の人間を指す場合がある。これらを含む表現、例えば「電車の中で突然おばちゃんから飴をもらった」も同様に2通り以上の意味をもつことになる。

一方、構造的曖昧性というのは、単語そのものには多義性はないのに、文の構造に2通り以上の可能性がある場合である。例えば、「昨日福山と千原が結婚したとの発表があった」は、福山と千原とが婚姻関係を結んだという意味と、福山と千原のそれぞれが、別々の人と結婚したという意味がある。そして、実在の人物の場合には、解釈は一つに定まる。

さて、次のような文はどのように解釈されるだろうか。

A、B については、C や D への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

これのもとの文については、多くの人が、A、B ともに、C や D をしなくてはいけない、特に、C を求められていると解釈し、大変なことになったと考えた。

これは、実際に今年の6月に文部科学省が国立大学法人に対して発した文書の一部であり、A〜D を復元すると次のようになる。

教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、…組織の廃止や他分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

これではどうしても、どちらの学部・大学院も「組織の廃止」も含めた改編に努めないといけないと解釈してしまうだろう。国立大学には人文系学部はいらない、という危惧を多くの人がもったのも無理はない。

ところが、9月になって、実際は、「通知を作った役人の文章力が足りなかった」という文科省幹部の「釈明」で、「組織の廃止」は前者(の一部)のみに関わるということが明らかになった。

「A、B」と「C や D」という並列の表現を並べ、C は A のみに、D は B のみに関わると解釈するのは相当の読解力を必要とする。「文章力」のある人ならばせめて「それぞれ」を「組織の廃止」の前に補うだろう。

芸能人の結婚問題ならば背景の知識により誤解は生じないが、背景のわからない公文書は努めて曖昧性のない形で発信してほしい。

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