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「公認されない悲嘆(disenfranchised grief)」(Doka,1989)という言葉があります。悲嘆の営みは、故人との関係性やパーソナリティなどの要因は勿論のこと、良くも悪くも社会的文脈の影響を受けます。通常、大切な人を亡くした場合、葬儀などの伝統的儀式が行われるため、その死を公にし悲しむ機会が与えられます。しかし、流産や死産、妊娠中絶などの周産期の喪失は、葬儀を行うこともなければ戸籍に載ることもなく、母親も周囲の人もその喪失を「なかったこと」として振る舞う傾向があります。このような社会的に無視された喪失では、喪失が過小評価され、その出来事はほとんど知られることもなく、「なかったこと」として心の奥底に封印されてしまうのです。
また、別のタイプの喪失もあります。それは社会的に話すことができない喪失で、その代表例が自殺による死です。私たちの社会には自殺に対する社会的スティグマ(烙印)が未だに存在し、その死の性質上、遺された家族は死の真相に関して沈黙を守る傾向があります。それは対社会だけでなく、家族や親族の間でさえ話題にすることを避け、何十年も心に蓋をしたまま一人で抱え続ける人も珍しくありません。
一般的に、悲しみを言語化し気持ちを分かち合うことは、モーニングワークの重要な一側面であると言われています。しかし、これらの喪失はその特殊な状況ゆえに十分に悲しむ機会が与えられず、結果として悲嘆のプロセスが停滞しがちになります。
「あゆみの会」は、このように日常生活ではなかなか話せない故人への思いや故人のいないこれからの人生についての話題など、自由に語れる数少ない場です。亡くした原因や故人との関係性はさまざまですが、同じような経験をした人にしか分かり合えない思いを共有できる場として一定の役割を果たしています。なお、「あゆみの会」は今年度から本学にて開催しています。参加をご希望の方や関心をもたれた方は、当センターへお気軽にお問い合わせください。
参考:Worden, J.W.(著)山本力(監訳)2018/2022 悲嘆カウンセリング改訂版―グリーフケアの標準ハンドブック 誠信書房.
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