マスクの功罪
【キリスト教センター・6月のリレーメッセージ】 (5)
マスクはこの季節には暑いですね。しない人も増えてきました。通常のマスクには、そもそも外からの感染を防ぐ能力はないので、してもしなくても、感染されやすさが変わるわけではない、と開き直っているのでしょうか。
しかし、マスクには、内からの感染源になるのを防ぐという効用があります。症状がなくても感染している可能性があるので、知らず知らず、自分がウイルスを撒きちらしているかもしれません。それを防ぐには、自分の口を塞いでしまった方がよいわけです。
実際にマスクをしてみると、マスクのもう一つの効用が感じられるようになりました。マスクは、ウイルスが入って来るのを防ぐことはできないけれど、他人の視線が向かってくるのを防ぐことができるのです。視線が刺さると痛いですよね。そのためだけでもマスクをする意味があるのかもしれません。
その逆に、マスクには副作用もあります。マスクをすると、マスクをしていない他人への視線が厳しくなるのです。きのうまでマスクなんかしていなかった人が、突然、正義の味方にみたいになって、ノーマスクの人を糾弾するようになることがあります。
人を責める資格とは何でしょうか。『新約聖書』の「ヨハネによる福音書」に、罪を犯した女を責めることができるのは、自分自身が罪を犯したことのない者であるという趣旨のイエスの言葉があります。その結果、その場にいた人で責めることができる人はいなくなってしまったのですが。同じように、マスクさえしていれば、マスクをしていない人を責めることができると考えるのは単純すぎる気がします。とは言え、個人的には、ノーマスクの人には近付きたくないですけれどね。
マスクのもう一つの副作用は、口から出る大事なものが遮られてしまうということです。最近は会見などで手話通訳の人がつくことが多くなりましたが、通訳は、よく見ると、口を頻繁に動かしながら手話を使っています。これがマスクをしてしまうと見えなくなるので、手話をあてにしている人からわかりにくいという苦情が出ました。今では透明なマスクをするか、透明な衝立の後ろで通訳をするようになっていますね。
同じ理由からか、西洋人がマスクを嫌いなのも、あの人たちには口の表情が大事だからという話を聞いたことがあります。一方、日本語では「目は口ほどに物を言い」というくらいですから、マスクの上の目つきだけで、十分に会話ができるのかもしれません。マスクをしていても笑顔かどうかはわかりますものね。
最後に、最近気になるのは「アゴノマスク」です(誤植ではありません)。鼻と口をマスクの外に出して、なぜか顎にマスクをしている人たちです。何も防げていないので、あれを見ると、「自分は駄目な人間です。すいません」と公表しているように見えるのです。(顎をマスクの外に出している人も同じように駄目な人だとまでは言いませんが。)
とにかく、早く、マスクをしないのが普通の日が来てほしいですね。鼻と口からマスクがとれたら、清々しさを感じるとともに、「目からうろこのようなもの」が落ちた(使徒言行録 9:18)のに相当する、開かれた世界が見えてくるのではないでしょうか。
(キリスト教センター委員:郡司隆男)
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